2006/5/10
「らでぃっしゅぼーや 2」
ラディッシュボーヤの2回目です。
最近、「ラディッシュボーヤ」のキーワードで検索されて、
ここへご訪問される方が多いので、続編を書きたいと思います。
ラディッシュボーヤは、季節の旬の野菜を中心に、
「葉もの」「根菜」類を
8〜9種類パックした
「パレット」という規定のお野菜セットを 1週間に1度宅配されるシステムです。
中身の量は選択出来るのですが、(ミニからファミリーまで色々あります)
種類は選択出来ず、開けてみない事には何が入っているか分りません。
ちなみに、昨日配達された、「ミニぱれっと」には
ジャガイモ1パック(小6個)、葉付き大根1/3
、レタス
小松菜、スナックえんどう、なめこ、ミニトマトと
甘夏みかん2個、バナナ4本が入っていました。
スーパーで、たくさんの中から、好きなモノを買うのも楽しいですが、
こうして、「今日はどんな野菜が入っているかなあ?」と
パレットを開けるのも、楽しいです。
夕方、届けられた野菜をきれいに洗って、
野菜専用の保存パックに入れて、冷蔵庫の野菜室に保冷します。
1週間これを使い切るために、献立を工夫していきます。
痛みやすい葉ものから、どんどん先に食べていきます。
いよいよ残りそうになると、炒めたり蒸したりして
朝食から、パンなしで、野菜炒めだけ・・のメニューになったりもします。
農家の方が、志を持って栽培して下さった有機野菜は、美味しく新鮮です。
何でも好きな食材を選んで食べるばかりでなく、
限られた食材で調理する環境も必要なのではないかと、思っています。
消費者は王様とばかり、スーパーに行けばあらゆる野菜が手に入ります。
でも、本来はその季節季節に、栽培された野菜を食するというのが、
当たり前だったんですよね。
消費者の選択を大きくするために、多くの野菜を揃えれば、
売れ残りも増え、無駄になるばかりか、
結局その古い野菜を食べるのは消費者です。
厳格な生産基準のもと、生産された新鮮な野菜を無駄なく食すれば、
地球環境にも貢献出来るというものです。
できたものを、無駄なく有り難くいただく・・・これからの時代
これでいこうではありませんか!
有機野菜って高いって思われてる方がいらっしゃるかと思いますが、
そんな事はありません。
ラディッシュも、「スーパーの有機野菜」よりは割安です。
なぜか?
それは、できたものだけをすべて宅配しているから、
店舗も持たず、品揃えも必要ないからです。
新しい食のスタイルとして、なかなか良くできたシステムだと思っています。
2006/2/12
「らでぃっしゅぼーや 1」
久しぶりの更新です。ブログをはじめてからというものの、
ノートがなかなか書けなくなりました。
とはいえ止める積もりもありません。ここぞ・・・?という時に
綴っていこうと思いますので、宜しくおつき合い下さいませ。
今回は、有機野菜の「らでぃっしゅぼーや」について書こうと思います。
「Favorite」でもご紹介しましたが、とりだして4年程になります。
1週間に1度、「パレット」と呼ばれる規定の有機季節の野菜が配達されるほか、
ありとあらゆる食材の中から、会員は選択、購入ができます。
ただし「パレット」だけは中身を選択できません。
その季節、時期毎に穫れた野菜が配達される仕組みになっています。
中身を見てから献立を考えなくてはなりませんので、 当初は慣れるまでが大変、
どうしても余ってしまい、なかなか食べきれない状態が続きました。
何とか続けられたのは、何といっても「有機野菜の美味しさ」でした!
人参など、切ると匂い立つという感じで、ほんとに美味しいんです。
野菜の煮物なども、野菜本来が持つ滋味に、そんなに味付けしなくとも、
しっかり満足して味わう事ができます。
パレットの中身を見てから、献立を考えるという作業は、
慣れてくると、様々な利点を提起している事に気が付きました。
1.無駄なく使おうと思うので、献立の幅が広がる。
2.野菜中心のメニューになる。
3.野菜自体が美味しいので、薄い味付けになる。
3.外食が減る。
4.スーパーなのでの無駄な「ちょこちょこ買い」がなくなる。
「らでぃっしゅぼーや」になってから食費は確実に減りました。
たまにスーパーへも行きますが、特売品などがあると
ついつい買ってしまいますよね。こういう出費が以外と大きいんですよね。
「らでぃっしゅぼーや」だけでは無理にしても、
ここを食生活の大きな柱にして、スーパー行きは臨時の場合と決めると
食費の大きな軽減になる事は間違いありません。
11月25日(金曜日)
「今年のボジョレヌーボー」
お酒はあまり飲まないのですが、ワインは1、2週間に1度、
グラスに2、3杯程飲みます。(ほとんど飲まないって感じですね・・・。)
で、今年買ったボジョレヌーボーは、上の3本です。
生徒さんの中にソムリエの方がいらして、彼女ご推薦のリストから選びました。
左からpierre ANERE Beaujolais Nouveau 2005
(ピエール アンドレー ボジョレー ヌーヴォ)
Cave des Bel-Air Bellairissime Beaujolais Villages Nouveau 2005
(カーヴ ド ベレール ベルエアリシーム ボジョレー
ヴィラージュ ヌーヴォ)
pierre ANERE Beaujolais Villages Nouveau 2005
(ピエール アンドレー ボジョレー ヴィラージュ ヌーヴォ)
お値段は、¥1780、¥1900、¥2300、とお買い得、
お店で買えば上代はもっと高くなるそうです。
両端の2本は、きれいなルビー色で、いかにも採れたてって感じです。
赤は、色も楽しみの大きなポイントなので、うれしいです。
真ん中のワインは、標高30m、25度の急斜面の単一畑、
樹齢65年という古木から造られたそうで、ノンフィルターです。
今年のボジョレーはかなりいい出来だそうで、とても楽しみです。
ワインのサイトで、「フランスの小さなワイナリー」を応援する事を主眼とした
視点の面白いブログがあります。
神戸大学生、大学院生でいらした時、ピアノのレッスンに
いらしてたTさんのブログです。
ワイン以外にも、ネット関連の近未来情報なども満載されていて、
私などには大変勉強になります。
彼が撮ったフランスの写真も素晴しく、センスの良さが光りますよ。
ぜひ、一度ご覧下さい!
『パリ・ボルドーを行き交うフランスの恋人〜ワイン〜』
10/30(日曜日)
DVDで「シービスケット」を見ました。
馬、人間共に癒され、立ち直っていく姿に、久しぶりに映画を見て泣きました。
1930年代の大恐慌時代、アメリカの競走馬史に名を残した名馬の感動実話。
小柄な荒くれ馬が、周囲の人を巻き込んで夢を追っていく姿に、
思わず「フレーフレー、シービスケット!」
この時代の空気というか、文化というか、
現代と違って、ゆっくり流れる時間そのものに、癒された感じがします。
ジェフ・ブリッジス演じる馬主は、成り上がりにもかかわらず、
暖かみと人の良さから、上流階級の他の紳士より品を感じさせ、好演。
無邪気で朴訥な紳士ぶりが印象に残ります。
昔「白と黒のナイフ」で、殺人者を演じた頃とは違って、
素敵に年を重ねてきて、いい役者になったものだと思いました。
悪役の多いクリス・クーパーも、ひとひねりある役どころがぴったりで
とってもステキに見えるから不思議・・・。
この役者さんて、目に力があるというか、鋭くて印象的な目を
していますよね。きれいで澄んだ目なんだって、今頃気がついた次第・・・。
ウィリアム・H・メイシーも、今でいうディスクジョッキーの役所が
可笑しくて笑えます。
この3人の中年男達の名演技ぶりに、
トビー・マグワイアもかすみがち、まだまだ修行が足りんって感じです。
レースの映像も美しく、馬が登場してからは一気に引き込まれ、
前半のややたるみがちな展開を補います。
時代を写したセピア色の映像と、疾走する馬の映像が奇妙にマッチしていて
1930年代のアメリカが、輝いてみえます!
お気に入りの1本になりました。何回も見直す事になりそうです・・・。
10/9(日曜日)
「ジャン・コクトー展」と「ダヴインチ・コード」
先々週、大丸で開催された「ジャン・コクトー展」を見に行きました。
ジャン・コクトーといえば、詩人、小説家、画家、戯曲家など
いくつもの顔を持つ、マルチ・アーティストとして知られていますが、
作品をこんなにたくさん見たのは始めてで、その多作ぶりに驚きました。
淡い色のパステル画と云うイメージがあった私ですが、深く暗い色調の絵も
何点かあって、新たな面を発見した感じです。
デッサンの名手といわれただけあって、シンプルで力強い線が素晴しく、
見る者を惹き付けます。
ピカソと互いに競い合い影響し合ったせいか、
人物画像は、ピカソのタッチとよく似ています。
ピカソは、自分が愛した女性の絵を書いたのに対し、コクトーは男性画を書きました。
どの男性画も、目が大きくて唇が分厚く、ギリシャ彫刻の様な端正な顔立ちです。
こういうハンサムな男性が好きだったんですね。
20世紀に活躍した芸術家達と親交を深めたというコクトー、
そういえば、「ダヴインチ・コード」の中に出てくるシオン修道会に
コクトーも入っていたと書いてありましたが、ほんとかしら??
シオン修道会は、ダヴインチを始め、ニュートン、ドビュッシー、ボッティチェリ
ユゴーなどが入っていたとされる秘密結社ですが・・・・?
「ダヴインチ・コード」の中で「最後の晩餐」のヨハネは
実はマグダラのマリアだったと推理しています。
しかも娼婦ではなくイエスの妻で妊娠していたと。
私にはよく分らないけれど、コクトーの作品を見ながら
そんな事も思い出して見ていると、歴史の深さ、ミステリーさも感じて
絵への接し方も深くなりますね。
もっと歴史の勉強をしないといけないとも感じて帰ってきました。
10/1(土曜日)
「ルーブル展」
先週、「ジャン・コクトー展」と「ルーブル展」に出かけてみました。
「ルーブル展」は会期終盤とあってウィクーデイにもかかわらず
尋常ではない混みようでした。
どの絵も2重、3重に人垣ができるので、絵に辿り着くのも進むのも大変、
なかなか落ち着いて見る事が出来ませんでした。
大学生などの若い人より、シニアの方が多いように感じました。
2007年以降は団塊の世代が退職を迎えるので、
「時間持ち長者」は一挙に増加します。
こういう方達が、美術館巡りをしたり、映画を見に行ったり、
旅に出かけ始めたりすると、街や観光地は賑やかになり、
経済も活性化されるのじゃないでしょうか?
60歳といっても、昔の60歳とは違いますから、皆さん、活動的でしょう。
「シニアの増加」に対して負の面ばかり見ずに、こういう「プラスの面」も
あるのだと気がつくと、明るくなりますよね。
さて、ルーブルでは、アングルの日本初公開の「トルコ風呂」が印象に残りました。
キャンバスが窓の様に丸くて、描かれた裸婦達のふくよかな体と対をなす様で、
彼女達の裸体が一層美しく見える効果を感じます。
また、中央の背中を見せている裸婦にのみ光があたっていて、
奥行きを演出しているのと
まあるい背中からどんな美女なのかなと思いめぐらす余地があって
隣の、正面を向いてポーズを取っている裸婦より印象が強く残ります。
他にもミレー、ドラクロワ、コローなど印象的な作品があり、
小粒ながら、いい展覧会でした。
「ジャン・コクトー展」については、また後日・・・。
8月27日(土曜)
「海馬2」
脳学者の池谷裕二氏とコピーライター糸井重里氏共著による「海馬」
前回の続きです。
海馬は「情報を保存する」場所で、脳細胞の中で、唯一細胞が増えていく
不思議なところです。
この海馬がダメになってしまうと、5分くらいの「短期記憶」しか
出来なくなるので、人間としてとても悲惨な状態に陥ります。
5分前に行動した事、考えた事を忘れてしまいますから社会生活はおろか
一人では生きていくのが困難になってしまいます。
海馬が正常だった時の記憶だけで、生活する事になるので、
新しく出会った人も5分後にはまた「どなたですか?」
と聞く事になってしまいます
いちいちメモしていかないと記憶が繋げなくなるのです。
この「メモをとる」という行動が出来るのも、以前の記憶で
その有用性を憶えて知っているからこそ、できるのです
海馬がないという事は「時間軸」を失ってしまったに等しいのです。
恐ろしいです。
海馬は、脳の中に入ってきた膨大な情報の要・不要を判断して、
他の部位に情報を蓄えさせるという「情報のふるい」を行っています。
記憶には限りがあるので、不要は情報はどんどん捨て、
大事なものはしっかり蓄えるという作業をしている事になります。
では、なぜ細胞が増えていくかというと、池谷さんは
「海馬は記憶をつくるだけのところであって、
保存しておくところではないから、入れ替わった方がいいのだ。」という
仮説を立てています。
次々死んで行く細胞と、生まれる細胞・・・。
生まれるスピードが速ければ、海馬は膨らんでいきますし、
使わないでいると、死ぬスピードの方が速くなるので、しぼんでしまいます。
海馬自身の中に記憶が蓄えられるわけではないが、
「海馬が大きくなれば、記憶力が高まり、より多くの判断が可能になる。」
という事ができるのです。
また、この海馬の隣にある、感情をつかさどる「扁桃体」という部位と
海馬とが密接に関連しているらしいのです。
扁桃体は「好きかどうか」を判断するところで、これが活性化すれば、
海馬も活性化し、しっかりと記憶される事になります。
海馬は、扁桃体の感情を参照しながら情報を
取捨選択し、保存したり捨てたりするのです。
「好きなものは憶えやすい」のは脳の仕組みとして
当然の事だったのですね。
この「扁桃体」を活性化させるという事は
感情を豊かにするっていう事でもあるので、
音楽を聞いたり、絵を見たりなどの芸術方面に触れる事が
いかに重要であるかも分かります。
自分で、歌ったり、楽器を演奏したり、絵を描いたりする事は
何をか言わんや・・・ですね。
いろんな事に興味を持って、「好きな事」をどんどん増やす事が
扁桃体の活性化を促し、記憶力を強め、
海馬の細胞の増加につながるのです。
海馬にたくさんの情報を貯めて、お互いの繋がりのネットワークを
倍増させる。
そこからまた新たな組み合わせが発見でき、そのプロセスの過程で
海馬細胞は増える・・・。
素晴らしいですね!
「脳は使えば使う程、活性化する。使い尽くす事が可能なんだ。」と
気が付いて、脳に刺激を与え続ければ
どんな年齢であっても「頭はよくなる」!
なんか、年をとっていくのが楽しくなったような、勇気が湧いてきたような
そんな気持ちです。
素晴らしい本でした。
8月10日(水曜日)
「海馬1」
最近、「脳」関連の本をよく読んでいます。
この分野は難解な本が多いのですが、そんななか
とても元気になれる本に出会いました。
「海馬」、脳学者の池谷裕二氏とコピーライター糸井重里氏による対談本です。
まず、「年を取るともの忘れがひどくなる」というのは
科学的に間違いなのだという。
脳は30歳や40歳を超えた方が、むしろ活発になるんだそうである。
どうです?うれしい話でしょう。
1.大人には、すでにたくさんの知識があり、子供が好奇心いっぱいで
接するのに対し、マンネリ化した気分でモノを見るから
印象に残らずに記憶力が落ちたかのように感じてしまう。
老化を気にするより、「子供のように新鮮な視点で世界を見る」ことが
大事である。
2.脳の本質は、ものとものとを結びつけて、新しい情報を作る事が基本である。
30歳を過ぎると、この「つながりを発見する能力」が飛躍的に伸びる。
30歳までに学習してきたことを生かし、実生活に結びつけた論理的な思考を
熟成していけるのがこの時期からである。
これってほんとにその通りだと感じます。
若い頃は、わけのわからないままにも、いろいろと勉強、経験を積み上げて
いく事が大事なんだと思います。
小さくまとまらず、失敗も恐れず、イヤな事もやってみる。
一見、ムダを積み重ねた様に思っても、その中から思わぬむすびつきが
生まれてくる。
30歳以降の脳は、それまでに構築したネットワークを密にしていく
独特のはたらきを持っているから、利用できるかできないかで
ずいぶん変わってきてしまうそうです。
脳の新しい使い方になじめる人と、それ以前の使い方に固執して
芽が伸びないままの人との二極分化が起こる....。
この素晴らしい「結びつきの能力」を生かし切りたいものですね。
糸井さんは、一見無関係のものどうしから共通項を見つけ出して、
新しい世界を作り上げて行く能力は
「センスがいい」とも置き換えられると述べています。
いつも好奇心を持って、仕事以外の世界にも目を向けて
一見「無理だ」と思えることでも、気持ちにストッパーをかけずに
やり続けると....「脳」は進化していくのですね。
表題である「海馬」は、どんどん減っていく脳細胞の中で、
唯一神経細胞が増えていく部位で、記憶に関わる重要な役割を持っています。
池谷氏の研究テーマでもあります。
体の細胞は、入れ替わりが早いが、脳だけは入れ替わらない。
違う人間になってしますから、当然といえば当然です。
なのに、海馬は入れ替わる...興味深く、刺激的な話ですよね。
また次回詳しくご紹介します。
7月31日(日曜日)
「2001年宇宙の旅」
野口聡一さんを乗せたスペースシャトル「ディスカバリー」に刺激されて
今日は映画「2001年宇宙の旅」をLDで見てみました。
キューブリックの孤高の名作「2001年」も1968年製作といいますから
もう37年も前の映画になってしまいました。
翌年の1969年には、アポロ11号が、人類初の月面着陸に成功、
月面に降り立つ二人の飛行士を、世界中が興奮して見たのでした。
ここ何年か「本当にアポロは月へ行ったのだろうか?」という疑惑が
話題になったりして、本なども読んでみましたが、
一番面白かったのは、キューブリックがこの疑惑に関与しているというものでした。
「2001年」の撮影を終えた彼に、ソ連に遅れをとるまいと必死だった
アメリカが頼み込んで、アリゾナの砂漠で「月面着陸」を
撮らせたと.....??
キューブリックと「2001年」の偉大さゆえに、
こんなホラ話も出てくるのでしょうが、確かにここ近年「コロンビア号」の
失敗など有人宇宙飛行はうまくいっていないのに
36年も前になぜ成功したのか....とは思いますが。
さて、「2001年」ですが、こんな映画はもう出てこないだろうと
思う「比類ない素晴らしい作品」ですよね。
特撮によって作成された映像は、誰をも圧倒させる迫力と美しさで
キューブリックの世界へと誘います。
「言葉」は極力省かれ、代わりに「ツァラトゥストラはかく語りき」と
「美しく青きドナウ」が雄弁に語りかけてきます。
SF映画にクラシック音楽が新鮮で、映像と音楽の「幸せな結婚」とも
いうべきセンスの良さに、ただただ脱帽です。
本当に何回見ても、映像美と難解な内容に、魅せられ、考えさせる作品で、
最近のCG屈指の映画が、いくら頑張っても表現できない世界だと思います。
もう一方で、37年前に想像された21世紀の世界が、現実にどうなったかと
比べてみるのも面白いですよね。
「2001年」では、月に基地が建設され、木星に有人飛行していますが、
残念ながら、現実にはまだ夢物語です。
一方で、「コンピュータHAL」が擬人化して人間を抹殺しますが、
驚くべき進化を遂げた現代のコンピュータが、いくら処理能力が
強大になっても「知性」を持つ事はありえないと
私たちは知っています。
テレビ電話も登場していましたが、37年前にはきっと画期的な
映像でしたでしょうね。
愉快なのは、かけ終わった後、1ドル何セントって請求されてて
これは遅れてるかなって笑いました。
コンピュータを使えば、今は限りなく電話代はいらないですものね。
7月16日(土曜日)
「大人の方のピアノレッスン」
大人の方達が歌や楽器を通して、音楽を楽しむ時代になってきたようです。
私の教室でも、大人の生徒さんが増えてきました。
初心者の方から、ある程度弾ける方まで、技術的には様々ですが、
共通している点は、「音楽が好き、ピアノを楽しみたい!」という事です。
つい10年くらい前までは、ピアノのお稽古は子供の専売特許でしたのに、
時代は様変わりしたものです。
「歌」を勉強していて、伴奏がつけられるようになりたい、
スタンダードジャズを弾いてみたい、
教会の賛美歌の伴奏をアレンジしたい、
保育士の資格を目指したい、
全く始めてだけれど、基礎からしっかり勉強して、
好きな曲が弾けるようになりたい、
長いピアノ歴を生かして、楽しみつつも新たな広がりを模索したい、
など、それぞれの方の目的の多様性、個性にも新鮮な驚きを
感じています。
昔は、子供にピアノを習わせたいとの親の願いから、情操教育として
「ピアノのおけいこ」は日本の社会に根付いてきました。
それがいつのまにか、社会が成熟するにつれ、
ピアノは子供だけのものではなくなってきたようです。
音楽に限らず、大人が様々な趣味を通して人生を楽しむ時代が
やってきたのでしょう。
人生は80年と長くなりました。楽しむ時間はたっぷりあります。
子供の頃習ったピアノ、再び鍵盤のふたを開けて、弾いてみれば
そこには新しい世界が広がります。
子供の頃は分からなかったピアノの音の美しさも感じる事ができます。
耳になじんだ様々な名曲を、聞くだけではなく、
自分自身の指と感性で再現する喜びは心地よいものです。
「子供の頃はレッスンに通う事が苦痛だったが、
今はピアノが楽しくて...。」
とおっしゃる生徒さんの声は嬉しく、有り難く感じます。
「ただ弾くだけだったかもしれない」子供時代のレッスンとは違った
大人の知的満足を満たす事の出来る、居心地のいいひとときを
創っていかなければと考えています。
今朝、レッスンに来られたTさん、教会の賛美歌をアレンジしました。
明日頑張って下さいね。!
6月22日(水曜日)
「脳内現象」
最近読んだ本の中で、面白かったのは茂木健一郎氏の「脳内現象」です。
<私>はいかに創られるか...を副題に、物質である脳内の神経細胞の
活動から、いかに<私>の意識が生まれるのかという「心脳問題」を
真っ正面から取り上げています。
まず、<私>という存在は、「脳内現象」であるという茂木氏の看破に
びっくりする。確かに、この「世界」という客観的なものを認識する過程は
<私>の脳内の1000億個の神経細胞が活動する事によって生じるものである。
故に<私>が感じるすべての世界は、脳内現象として、1リットルの空間の
中に閉じ込められていると言い換えられる。
確かに、私たちは、自分の身体の周囲に広大な世界が広がっている事を
知識としては知ってはいるが、その広大な世界を客観的には
感じる事は出来ない。
常に「自分の脳」が活動する事によって認識するだけであって、
「自分」に中心化された形でしか体験出来ない。
あたり前と云えばあたり前の事なのだが、説明されるまでもない
あたり前の「事実それ自体」を「説明されるべき事実」へと
昇格させる所が、天才なのだと感じる。
りんごが木から落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見した
ニュートンと同じだ。
地上のものが、落下するという誰も不思議に思わない「当たり前の事実」を
変則事項として認識したからこそ大発見へと至ったのだ。
茂木氏はさらに考察を進め、「物質である脳」にいかに心が宿るのかという
超度級の問題を「事実それ自体」から「説明されるべき事実」へと
昇格させなければいけないと説く。
脳は、感覚、運動、記憶などのそれぞれの部位が機能し活動するという点で
並列的なシステムである。
が、その一方でそれらの情報が統合して把握され、
行動に反映されるという意味では統合されたシステムともいえる。
このまさに脳内の1000億個の神経細胞の活動を見渡し統合させるものは
いったい何なのか?誰なのか?
何が脳全体をまとめ、その人独自の意識を生み出させるのか?
現代でも誰も解決の出来ない「脳と心の大きな問題」がこうして
横たわっているのです。
茂木氏は、意識を生み出すのは、脳内の神経細胞の総合関係性意外に
あり得ないとしていますが、あたかも「神の視点」の様に、
何かが脳内を見渡し、意識なり心なりを生み出させるそのメカニズムを
究明する事こそが、今後の脳科学の最重要事としている。
私たちは、普段当たり前のように、感じたり考えたりしている。
が、こうして意識が脳細胞という物質から生まれる不思議さを指摘されると
改めて人間の不可思議さ、複雑さを感じる。
カントは、私たちは「もの自体」は決して知り得ず、ただ自らの認識の中に
現れるその像を知るのみだと看破した。
私たちは「空間自体」は決して知り得ない。ただ、意識の中に現れるその像を
知るのみである....と。
意識がどのように生まれ、それぞれの心なり人格をかたち創っていくのか、
いつの日か、科学的に解明されるのだろうか?
6月14日(火曜日)
「腎炎」
昨日、今日とレッスンを休ませて頂いています。すみません。
膀胱炎から腎炎に罹ってしまい、抗生物質を飲んで安静にしています。
先週の火曜日から、トイレ時に今まで感じた事のない刺激感というか
痛みを覚えていたのですが、そのままほっておいたところ、
何と9日の夜に猛烈な発熱に襲われてしまいました。
悪寒と高熱で震えが止まらず、パジャマをもう一枚着込んでも眠れず
そのまま朝へと....。
日中は多少熱も下がり楽になったので、いつも通りレッスンをして、
土日はずっと安静にして寝ていました。
風邪なら、このくらいの休養で治るはずなのですが、まだスッキリしない。
さすがの能天気な私も、これは何かの病気だとやっと悟り、
昨日一番で泌尿器科へ行ってきました。
尿検査の結果は「膀胱炎」。直ぐ点滴を命じられました。
点滴など始めての経験です。
しかも膀胱炎に発熱はないはずなので、腎炎の疑いもあるからと
血液検査も行われる事になりました。
先生から「病状次第では、安静入院もしないといけません。
結果は夕方電話しますから。」とおっしゃられてしまいました。
血液検査の結果は、やはり「腎炎」でした。が、幸いにも白血球の値が
あまり高くなかったので、入院はしなくともよくなりました。
今朝来院して再度点滴、以後は飲み薬で対処していけばいいという事になりました。
ホッとしています。点滴と薬の効果か、昨日より尿の状態も良くなったそうで、
気分も一気に快方に向かっています。
ここのところ、パソコン環境が激変したので、
それに伴う作業で疲れがたまっていたのだと思います。
病気知らずの私もさすがに ダウンしてしまいました。
やはり日常のペースを守らないと 、どこかにしわ寄せがきてしまいますね。
以前罹った病気といえば、20代での「3日麻疹」と30代始めの「ヘルペス」です。
ヘルペスは「帯状疱疹」ともいわれ、疲れとストレスから発病します。
今回始めて内蔵系の病気に罹り、日頃の体調管理の大切さを思い知りました。
風邪も3.4年に1回引く程度、体温計も壊れたあと買わなければと思いながら、
いつしか忘れて何年も経ってしまっていたのでした。
今回の高熱もいったい何度だったのか....?
日常生活の有り難さと、また明日からレッスンできる幸せを感じています。
6月8日(水曜日)
「サイトから消えた・・?」
今朝、私のHpを開いてビックリ、サイトから消えていました。
「ジオ市民の都合で開けません。」えっ!いったいどういう事???
昨日でヤフーを解約したので、それでかしらんと真っ青になりました。
ヤフーからのメールをチェックすると、私のHpの容量が
無料の50MBを超えていたので、もはやBB会員ではない私のHpは
消えてしまったのだと判明....何とひどい、さすがヤフー。
まあ私が容量を見逃していたのが悪いのですが、それにしてもショックでした。
改めて容量を見てみると、何と127MBもあって、いつの間にか
えらい数字になっていました。
で、あわてて有料のジオプラス(月525円で300MB)に
申し込んだところ、一瞬の後にページが復活、
有料だとさすが反応がすばやいのねと、またまたヤフーに感心してしまいました。
ここ1週間、光に変えてプロバイダも変えてと、
いろいろ面倒だったので、こうしてミスが出てしまったんでしょう。
その前にパソコンも買い替えたし、機械音痴の私には色々と大変でした。
午前中にご訪問頂いた方には、ページが開けなくて、
びっくりされた事と思います。申し訳ありませんでした。
お問い合わせメールも、アカウントの設定が 間違っていたりして、
送信が出来なかったのですが、今は復活しています。
どうぞ皆様、お気軽にメール下さいませね。
5年前に、始めてパソコンを買った時は、何が何だか分からず
立ち上げ、メールの設定なども人任せでした。
今回、2代目のパソコンに替わって、始めて全部自分で設定して
やっとスタートラインに立てたかなって気持ちです。
マックのG5に、光の速さが加わって、パソコン環境は持ち主の腕に反して
素晴らしくなりました。
これからも少しずつ勉強して、様々な機能を使いこなせるよう
努力していきたいと思います。
皆様に少しでも見たいと思って頂けるようなサイトに近づくべく、頑張ります。
どうぞ宜しくお願い致します。
6月5日(日曜日)
「光ファイバーへの切り替え」
昨日、ADSLから光ファイバーへと切り替えましした。
パソコンを始めて以来ずっとヤフーのADSLだったのですが、
マンションに光が導入されたのを期に思い切って変える事にしました。
ついでに電話もNTTからIP電話へとスイッチ、昨日モデムと電話アダプタをつなぎ
無事開通となりました。
こういう器械類の扱いは大の苦手なので、一度ならずサービスセンターに
問い合わせしながら、結局2時間あまりもかかってしまいました。
(この問い合わせがイライラ するんですよね。
機械音声の応答から始まって、この件は何番、あれは何番と
あげくの果てに混んでるからお待ち下さい....と。何とかしてほしい!)
電話はまだNTTの工事が1週間先なので、IPはそれ以降となりますが、
ひとつスッキリした事があります。
電話機は電話アダプタにつなげるので壁のモジュラージャックに
つなげなくともよくなり、
従ってモジュラージャックを2分岐させなくてよくなりました。
電話機を壁のモジュラージャックから離れた所に置きたくとも
線をダラダラのばすのがイヤで、移動できなかったのが、
スッキリと解決、少々うれしいです。
光の回線速度ですが、これが格段に速くなりました。
以前のADSLは2.9Mbps、そして今度は何と19.5Mbpsとでました。
サクサクと動くので驚いています。
6月2日(木曜日)
「エディ・アルバート死す」
一昨日に続いて映画の話をもうひとつ、
先だっての5月27日に米俳優エディ・アルバートが亡くなりました。
エディ・アルバートといっても知らない方がほとんどでしょうが、
「ローマの休日」で グレゴリー・ペックと共にオードリー・ヘプパーンを
追いかけたカメラマン役と云えば思い出される方も多いのでは?
99才だったらしいのですが、私はもうとっくに亡くなっていたと
思っていました。
グレゴリー・ペックは2003年に87才で亡くなっていますが、その時も
長生きだなあと思いましたし、エディ・アルバートの方が年上だから
もうすでに亡くなっているだろうと思い込んでいたのでした。
よくぞ99才まで生きていたなあとびっくりしましたし、
ああこれで、この映画も主役どころの三人ともが
すべて亡くなってしまったんだと
感慨深いものがありました。
「ローマの休日」は、オードリーの、これ以上はないはまり役と
ペックの端正な紳士ぶり、ローマの町の歴史を感じさせる美しさなど、
今見ても素晴らしい映像で
いつまでも心に残る忘れがたい名作ですよね。
表面的にはロマンチックコメディですが、人生の孤独、現実の厳しさなども
織り込まれていて、単なる「おとぎ話」では終わっていない所が
語り継がれ愛される要因なのではないでしょうか?
オードリーは、この映画でアカデミー主演女優賞を穫っているのですが、
エデイ・アルバートは助演男優賞にノミネートされてるんですよね。
主演の二人のあまりの美男美女ぶりとは対照的に、カメラマンのアルバートの
三枚目的おかしさとフットワークの軽さ、でも最後には特ダネの
写真を王女に献上してしまう人情味ある役どころがピッタリで、
地味ながら印象に残った俳優でした。
彼の出演した他の映画は見ていないのですが、新聞にも
「ローマの休日」のカメラマン役と書かれていたところを見ると
この作品が最も知られているという事なのかもわかりませんね。
今度また、ゆっくりLDで見て偲ぼうと思っています。
5月31日(火曜日)
「最近の映画は見ないなあ・・・」
久しぶりに映画を見ました。といってもTVでですが...
「アルカトラズからの脱出」クリントイーストウッド主演の脱獄ものです。
1979年ですから、今は貫禄十分のイーストウッドも49歳、
若くてダンディでなのでびっくりでした。
脱獄ものと云えば、何といっても「大脱走」と「ショウシャンクの空に」が
好きですが、ショウシャンクとアルカトラズの類似点というか、
映画の小道具立てが似ていて、面白く思いました。
アルカトラズのネズミにあたるものが、ショウシャンクでは烏、
気の毒な老囚人や、主人公を狙う凶暴な囚人の登場なども
共通しています。そうそう、「グリーンマイル」でも死刑囚が
「芸のできるネズミ」を生きるよすがにしていましたよね。
映画にしろ、小説にしろ大好きなのですが、
最近は以前ほど見たり読んだりしなくなりました。
CG満載の映画についていけなくなったのも、ひとつの理由ですが、
「感動する沸点」がそれなりに基準値が上がったのかもわかりません。
何となく筋が読めてきたり、これは以前見た何とかと
同じかなと思ったり...。
CGもインディジョーンズあたりまでは目新しく、面白かったと思いますが、
最近のロードオブリングとかはもう勘弁って感じです。
まあ、年を取って感動する心が失われつつあるという事も
多いにあるのでしょう。
新しい映画を開拓しなければと思いながらも、古いLDを
引っ張りだして「昔の名作はスタイルがあっていいなあ。」とオタクに
なっている私です。
5月22日(日曜日)
「マックG5を買いました!」
17日にパソコンを買いました。4月29日に発売されたばかりの
新OS「タイガー」が搭載された「iマックG5」
20インチの大画面に、「うわー、大きい。」と思ったのも初日だけ、
すぐに慣れ、隣に陣取るG3の小さい画面には、もう戻れないって感じです。
大きければたくさん広げられるので便利です。
タイガーには新機能が盛りだくさんですが、
なかでもガレージバンドは楽しみなソフトです。
今日、スタートアップガイドをプリントアウトして読み始めましたが、
なかなか難しいです。早く曲を作ったり鳴らしたりできる様、頑張りたいものです。
それにしても「とりせつ」って分かりにくいですね。
5月5日(木曜日)
「ふきのとう と こごみ」
今日、新潟の友人から「ふきのとう』と「こごみ」が
送られてきました。
関西では、あまり店頭で見かけない、珍しい山菜です。
ふきのとうは食べた事はありましたが、こごみは始めていただきました。
こごみは、胡麻和えなどが一般的らしいですが、
私は両方とも天婦羅にしていただきました。
ふきのとうは、独特の苦みがあり、これが何ともいえない風味があって
美味しいです。
色も春らしい若草色で、開いた小花もかわいく、食べるのが
もったいなく感じる程でした。自然の恵みを有り難く感じますね。
ふきのとう
こごみは、ふきのとうの様な苦みもなく、くせのない美味しさです。
明日は、ゆでてマヨネーズ和えにしようかなと思います。
新潟は、山菜の宝庫だそうですが、去年の地震の影響で、
入山できない地域も多いそうで、収穫量は減っているそうです。
そんな中、送って下さった友人に感謝しています。
こごみ
4月30日(木曜日)
「ドレスデン国立美術館展」
連休初日の昨日、「ドレスデン国立美術館展」を見に行きました。
美術館複合体として知られるドイツのドレスデン国立美術館。
地球儀などの自然科学器機、マイセンをはじめとする陶磁器、
オスマントルコの武具、宝飾品、絵画と多彩な展示内容でした。
印象に残ったのは、2.3点の絵画と、
日本、中国の陶磁器をお手本としたマイセン陶器です。
18世紀、アウグスト王の憧憬から始まった東洋磁器コレクションが、
職人にアジアの磁器をコピーさせる事から始まって、
次第に独自の発展を遂げ、マイセン陶器へと至った歴史がよく分かりました。
花瓶や布袋像など、実物とコピーが並んで展示されているので、
比較できて面白かったです。
いつも思うのですが、このような強君というか、専制君主が財のありったけを
注いで美術品の収集をしたり、とんでもなく豪勢なお城を建てたりするのは
その陰で民の生活が苦しめられた陰の部分はあるにしても
素晴らしい「文化的価値」を遺したという点で「功績」があったと
思うのです。
「大金持ち」はこういう生活からかけ離れた「余分なこと」をして
芸術に貢献してきたという側面はあるのでしょう。
絵画は、話題になっている「ガニュメデスの誘拐」
最近行われた修復により、女性の半身像が浮かび上がってきたというのですが、
私にはよく分かりませんでした。
皆も、画面左下を凝視していましたが、首をかしげていました。
館内は保護の為、薄暗く光が乏しいので
仕方ないと思うのですが、残念でした。
フェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」
開け放たれた窓から差し込む光と風が、見ているこちらにも
届いてきて、「手紙を読む女性」と開放感を共有している気分になります。
またこちらがカーテンを開けて、部屋の中を覗き見している様な
錯覚にも捕らわれ、当事者であり、第3者でもあるという
奇妙な精神状態になります。
やはり名作というのは、この様に想像を巡らせる余地なり空気などが
内在しているという事なんでしょうね。
4月25日(日曜日)
「飯田健司サックスリサイタル」
昨日、サックスのコンサートを聞きに行きました。
「飯田憲司サロンリサイタルーサキソフォンの魅力9ー」
毎年この時期、六甲幼稚園で開催されています。
飯田先生は、第4回松方ホール音楽賞管楽器部門に於いて
大賞を受賞された実力派で、精力的に演奏活動を展開されています。
このシリーズでは、「気軽に親しみやすく音楽を」の趣旨で、地元に根ざして
地道に展開されてきました。
もう9回目という事で、聴衆も着実に増えてきてるようです。
サックスというと、ブラバンかジャズかのイメージですが、
彼は、クラシック、ポピュラー、映画音楽と幅広いジャンルから
毎年テーマを決めてプログラムを構成されています。
昨日は「音楽旅行」と題して日本の『春の海』から始まり、
最後はホルストの『木星』までと、世界を巡る旅でした。
前半は主にピアノ伴奏でのソロ、
後半は、ドラムやギター、サックス3本も加わり、
ハワイアン、シャンソンまで聞かせていただき、
楽しく充実した内容でした。
私が飯田先生を素晴らしいなあと思うのは、
演奏力もさる事ながら、そのアレンジ力です。
後半の曲は、全部編曲されたそうで、労力たるや大変なものだろうと
思います。
音楽的センスに裏打ちされたものとはいえ、楽譜をおこすのは時間が
かかるものであり、地道な作業です。
私も新しいマックG5を手に入れたら、音楽ソフトも入れて
楽譜を書きたいと考えていますが・・・。
このコンサートも来年は記念すべき10回目、さらなる飛躍を期待しています!
4月12日(火曜日)
「ヤマハを辞めたい・・・相談ごと」
先週の金曜日、ヤマハ時代の後輩の講師さんと何年ぶりかで、お会いしました。
ヤマハを辞めるにあたっての相談でした。
彼女自身はもう決断していて、今後の活動をどの様に広げていったらいいか、
助言が欲しいとの事でした。
方法論とか、仕事の進め方、技術論はそれはそれで大事ですが、
独立してやっていく気構え、環境の変化に伴う適応力など、
精神面の方がより重要である事を、お話ししました。
それは一言で云えば、「フリーランスとして生きる心構え」みたいな
ものでしょうか?
組織に属していれば、時間の使い方はある程度決まってきますが、
フリーランスになれば、極端な話、365日自由で、自分でスケジュールを
組み立てていかなければなりません。
当初の開放感と共に、次にやってくるのは、自分で時間を管理していく
厳しさです。
私も自由な時間が増え、その大事な「とき」をどの様に過ごしていくか、
日々真剣に考えるになりました。
人間関係においても大きな変化があります。
上司とか同僚とかいう存在がなくなります。
あまり必要でない「お付き合い」がなくなってうれしい反面、
話を聞いてくれる友人とは、そう度々は会えなくなりました。
仕事が終わって、同僚と話しながらの帰途は、今振り返ってみれば、
ストレス解消であり、楽しいひとときでした。
リタイアした退職者が、気が抜けた様になり、孤独感にさいなまれるのも
実感として理解できます。
何しろ、電話もぐっと少なくなるのですから。
ヤマハにいました頃は、講師間の仕事上の連絡電話がかなりあって、
たいして重要でないものでも、受けたりかけたりしなければなりませんでした。
このような環境の変化に慣れ、適応していくには、
ある程度の時間と努力が必要と思われます。
私も当初は寂しいと感じましたが、
ほどなく静かな環境を有り難いと思う様になりました。
自分の力量で仕事をしていくのは、厳しいし、大変な事です。
創意工夫もいりましょうし、新たな人間関係の構築も必要でしょう。
専門分野以外の勉強や、人との繋がりが、やがて思わぬ輪となって
次のステップへと踏み出せていく可能性を信じて、
いつも前向きに、明るく努力していく姿勢が大切だと思います。
彼女とは、14年前、同じ楽器店の講師として
2年間一緒に仕事しただけなのですが、
こうして相談して頂けるのはうれしいですし、彼女の言葉「仲良くさせて
頂いてて良かった!これからも宜しくお願いします。」の気持を
忘れず、進んでいって頂きたいと思います。
Mさん、頑張ってね!
3月31日(木曜日)
「フィレンツェー芸術都市の誕生」
きのう、京都市美術館に「フィレンツェー芸術都市の誕生」を見に行きました。
女性の横顔で有名なボッティチェリの「婦人の肖像」と
ポッライオーロの「若い女性の肖像」
この2点が目玉で、後はたいした事ないだろうと思っていたところ、
予想に反して、素晴らしい展示内容でした。
神から人間へと重心を置いたルネサンス期のフィレンツェの
生き生きした生活ぶりが伝わってきて、とても楽しく豊かな気分になりました。
芸術と職人の技が見事に融合された作品を並べる事によって、
その時代の空気を感じさせた、企画の勝利ですね。
フィレンツェ市の百合の紋章
通常は、絵画と彫刻だけで終わる展覧会が多いなか、都市空間全体を
展示しようという趣旨で、大聖堂のレリーフに始まり、見事な金工、織物作品
医学器具、日時計などの科学器具まで羅網されていました。
特筆すべきは、様々な色合いの大理石で彫られた、紋章や貴石モザイクです。
白や蒼、珊瑚、深い翠色と自然が織り成す美しい色の石が、職人の手によって
モザイク絵となったり、貴石像へと生まれ変わって、
メディチ家などの屋敷を華やかに飾ります。
色の組み合わせ、石の裁断などによって、これ程までの芸術性が
生まれ出るのかと、感動してしまいました。
美しかったです!
私は、大理石とか、レンガとかきれいな石が大好きです。
旅行先のホテルの床が石だともう嬉しくてたまりません。
石畳の道も大好きです。
そこに更にレリーフが描かれていたりすると、もう写真バシャバシャです。
下を向いて必死に道を写している私を、けげんな顔で通り過ぎて行く人が
いても、平気です。
精緻なレースや布なども展示されていました。
ボッティチェリの横顔の婦人が着ているレース使いの衣装や
宝石など、美しくてため息が出ます。
絵の中から、当時の宝飾技術の充実、発展ぶりがうかがえます。
そうそう、ヨーロッパでよく見るマーブル(大理石)模様、カードや便せんなどに
使われていますよね。美術館内の売店でも包装紙として売っていました。
むこうで買ってもびっくりする程高いですが、奇麗ですよね。
3月21日(月曜日)
「花粉症の復活」
3月の声を聞き、治っていたはずの花粉症が復活しました。
2年間症状があらわれず.全快したと思っていたのに.....苦しい毎日です。
例年の30倍の飛散量の杉花粉に、眠っていたはずの抗体が
反応してしまったのでしょうか?
先日の日経新聞に、作家の別役実氏(べつやくみのる)が
「花粉症狂騒曲」と題してコラムを寄せていました。
氏も何年かを経て、治られたらしく、友人曰く、「治った」のではなく、
「花粉を受信し、それにナイーブに反応する感受性が失われた」のだそうだ。
要するに、年をとって反応が鈍くなったという単純かつ自然な
理由によるものらしいのだ。
老化現象の症状に、新たに「花粉症の減退」が加わったというのなら
「なあんだ、自分が年とっただけなんだ。」という事である、単に。
花粉の量と、加齢が関係しながら、これからも症状が出たり
出なかったりの「綱引き」が続くんだろうなあ。
ところで、花粉症に効く「月桃水」という植物抽出液をご存知ですか?
100%純度の水なので、鼻に吹きかけようが、目薬として使おうが全く安全です。
「薬」自体をあまり使いたくない方にとっては、朗報です。
今度、「Favorite」のページで詳しく紹介します。
2月25日(金曜日)
「大学受験」
今日から国立大の前期試験が始まりました。
私の生徒さんも二人受験されています。
一人は演奏系、もう一人は教育系です。
教育大学は長らく不人気だったのが、今年は人気だそうで倍率が高くなっています。
少子化に伴って先生の募集も減らしていくのかと思いきや、
そうでもないそうなのです。
なぜかというと、団塊の世代がもう直ぐ大量に定年を迎え、この年代の
先生方も当然ながら辞めますから、先生が不足してしまいます。
よって教育大が復権したと云う事情らしいです。
倍率が高ければ、優秀な人材が合格しますし、先生の質も上がってくるので
喜ばしいと思います。
先程、演奏系を受験されてる生徒さんからメールが入り、一次試験の声楽実技が
無事終わったと報告がありました。
落ち着いて歌えたそうで、ホッとしています。
二人とも実力を出し切って合格して欲しいと、祈る気持でいます。
2月16日(水曜日)
「花粉症が消えた!」
花粉が飛散する季節になりました。
私も20年近く花粉症に悩まされてきました。
目のかゆみ、喉の痛みに始まって、鼻水が際限なく出て、
しまいに頭がボォーとなる不快な症状。
耳鼻咽喉科に通院もしましたが、効き目なし、まだ市販の飲み薬の方が
効いたりしていました。
毎年2月末から5月の連休あたりまで、実に憂鬱な季節だったのです。
「だった...?」というのは、何と2年前から、症状が消えてしまったのです!
それ以前に、知り合いの方から「そのうち、治りますよ。」と言われてて
半信半疑だったのが、ほんとに花粉症が消えてしまったのです。
その方も、私以上に長く悩まされていたのが、
20年位経って消えてしまったのだそうです。
何とも不思議なのですが、2年前に私もその仲間入りをして、
ほんとだったんだ...と感動しました。
なぜ、症状が消えるのか、抗体が体内にできたのか、よく解らないのですが、
あれだけしんどかったのに、狐につままれた様な気分です。
今年は、杉花粉が大量に飛散するとの事、今年罹らなかったら
いよいよ本物だなと思っています。
1月24日(月曜)
「新潟地震と関東地方との関連性」
日経新聞に、地震に関する興味深い記事が載っていました。
それは、昨年の新潟中越地震で不思議な現象が観測されたというものです。
地震による揺れが、近辺より関東地方の方が大きかったのです。
長岡市居住の友人も同じことを言っていました。
「長野に住んでる友人は、震度4でたいした事なかったのに、
埼玉の友人は震度5ですごく揺れたと言っていた。」
この現象は、関東平野の地下構造と密接な関係
があるのだそうです。
日本列島には新潟から関東に抜ける巨大な帯状の陥没地帯があり、その陥没が
火山や土砂などで埋まっているというのです。
陥没した岩盤は、のこぎり歯のようにギザギザの起伏になっていて、
その上をぶ厚いたい積層がおおって関東平野を形成している。
恐ろしいことに、こういう地形は、地震の揺れが増幅されるそうです。
では、なぜこのような地形になったのか?
それは、約2000万年前から1500万年前にかけて起った、日本列島移動の
成り立ちに起因するといいます。
2000万年前、直線上に伸びていた列島は500万年かけて東方に押し出され
真ん中あたりから次第に折れ曲がり、現在の逆くの字型になった。
新潟と関東を結ぶ地域は、ちょうど折れ曲がりが起きた場所になり、
東北日本と西南日本の両側から引っ張られた結果、岩盤が陥没、裂け目が
できてしまったという訳なのです。
地震関連の本を読むと、地震の前兆現象として、火山活動が活発に
なるといいます。
2000年には三宅島が、2004年には浅間山が噴火した事を考えると、
この地域に地震が起るのも、そう遠いことではないのかもしれません。
首都圏直下地震は、過去400年の平均発生頻度にくらべても
最近の70年間の静穏さは不気味だといわれていますから。
恐ろしいことですね。
願わくば、小刻みに小さい地震が起って、エネルギーを分散させて
ほしいものです。
1月14日(金曜日)
「パソコンの画面が真っ黒になった・・」
先だっての連休中、突然パソコンが動かなくなりました。
実はここに至るまで半年間、マウスの動きがにぶくなっていたのを、
だましだまし使っていたのでした。
愛用のマックG3も、もう5年目に入っているので、
そろそろ限界かなという思いもあり、G5への買い換えも考えていました。
ただG5のデザインがイマイチ好きになれないので、
二の足を踏んでいたところでした。
私のパソコンの先生は、かつての生徒さんであるTさんです。
神戸大学院生であった彼も去年就職されて、郷里の福岡で働いてらっしゃいます。
今でもパソコンで行き詰まると、チャットや電話で教えて頂いていて、
実に頼りになる存在です。
で、私、真っ青になって、彼に電話してみました。
「パソコンが動かなくなったんですよ!」
スリープ状態じゃないのに、画面が黒くなってしまったので、相当あわてました。
で、まずマウスを使わないで、鍵盤から終了する方法を教えてもらい、無事終了。
その後も色々と調べてくれて、マウスなしですべての作業が出来る事、
鍵盤入力での作業が可能な事を調べ上げてくれました。
すごいです!
私のパソコンもマウスに問題があるらしい事が分かったので、
昨日星電社で購入して付け替えました。
動きました!サクサクと。
半年間あれだけ動きにくかったのが、嘘のようにスムーズにです。
こんな事なら、早く買い替えれば良かったと後悔するとともに、
まだしばらくはこのパソコンでいけそうなので、うれしくなっています。
Tさんに感謝、感謝です。これからも宜しくお願いします!
という訳で、更新が遅れていましたが、今日トルコ旅記をアップしました。
レッスン日記は、週内にアップしますので、お待ち下さいませ。
1月4日(火曜日)
「生きるために大切なものの見方、考え方、宇宙、地球そして日本人」
お正月に読んだ本の中で、印象に残ったのが
「生きるために大切なものの見方 考え方 ー宇宙、地球そして日本人ー」でした。
その中で、東大大学院教授で理学博士の松井孝典さんが次の様に述べています。
「地球にやさしい」という言葉は幻想である。
我々人間が、地球を汚染すると、
地球が取り返しのつかないことになって しまうから、
「そうしないように気をつけよう」 と声高に言われる。
しかし、地球の歴史というスケールで見ると、
我々が引き起こす環境変動よりも、もっと
激しい環境変動が、過去にいくらでも起っている。
今、我々が引き起こしている地球環境問題は、我々にとっては深刻であるが、
地球にとってはどうといういうことはない。
我々がいなくなれば、地球はすぐに元にもどる。地球環境問題といっても、
あくまで我々人間にとっての問題に過ぎない。
私も、近年頻発する自然災害を、人間の立場から見過ぎていると思っていました。
人間にとって未曾有の災害に思えるものも、
自然界から見れば自然現象のひとつに過ぎないし、
地球カレンダーから見れば、隕石衝突や火山爆発などの環境変動は
いくらもあって、その都度その時代に生きていた生物を滅ぼしてきたはずである。
また、松井博士は、21世紀の人間のあるべき姿として次のようにも述べています。
地球にはものの出入りがないわけだから、人間が増えた分、
他の者(資源)が減るだけである。
「右肩上がり」という20世紀の常識の発想のまま、21世紀を生きると
すれば人間の未来は暗い。
いつも未来ばかり見てまだ足りないと思うから行き詰まるのであって、
現代は、 これまでのどの時代よりもいい時代なのだという事を
よく認識しなければいけない。
では何を持って「いい時代」とするのか?
20世紀後半になって始めて我々はビッグバン以来の宇宙、地球、生命の歴史を、
解読し始めている。その結果とてつもない事が分かってきていて、
137億年前、宇宙に誕生の瞬間があったこと、
生命がどう生まれたかなどということが、
実際に調べられてきている。
そういうことを考えると、本当はすごく豊かな気分になるはずであり、
そういうことを
実質的な豊かさとして亮受していけばいいのではないか?
どこまでも「所有」を増やすという方向に向かって突っ走っていってはいけない。
地球から物資やエネルギーを取り入れて豊かさを築いてきた「人間圏」の中だけで、
我々を絶対的な存在としないで、
「宇宙から俯瞰して相対的に語る視点」を持たない限り
地球システと調和的な構築はありえない。
最後にこうも述べています。
「我々がどう思うか」が未来を決める。現在という瞬間は、
あと10年ぐらいで「人間圏」に限界が来るのか、
千年ぐらいもつのか、一万年ぐらい続くのかという、
まさに境目の選択の時代である。
12月30日(木曜日)
「暮れの大掃除」
24.25日と本棚の大掃除をしたところ、翌日あたりから左腕が
上がらなくなってしまいました。
ふたつある本棚のうち、ひとつは天井までの高さがあって、
椅子に上がり本の束を左手で持って、右手でほこりを叩く(はたく)を
繰り返していたのです。
本の量は膨大だし、重いし、棚やガラスを拭いたりもしないといけないし、
捨てる本は脇へどけて、残す本は並べ直してと重労働でした。
27.28日と服を着るのも痛く、お風呂では右腕でしか体を洗えず、
大掃除の計画も頓挫、29日からようやく動けるようになったのでした。
年々、体力が落ちていくんですねぇ。
以前はもっと完璧に磨きあげないと不満だったのに、今はもうこれ位でいいやと
気力もそれなりに衰えてきてます。
今日はだいぶ回復してきたので、フローリングの床を洗剤で拭いたりしました。
今年の大掃除はこれでおしまい。計画倒れに終わった所は来年少しずつ
実行する事にして、明日は実家へ帰ります。
みなさんも健やかなお正月をお迎え下さいませ。